和歌山市の観光名所や、和歌山市の歴史を感じながら、休日を過ごせるスポットを紹介していきます。
今回は前回に続き、「日前宮」として古くから親しまれている日前神宮についてご紹介します。
日前神宮の創建は神武東征の2600余年前にさかのぼり、2000年前頃には既に現在の場所に鎮座されたと伝えられています。
日前神宮のご神体である日像鏡(ひがたのかがみ)と日矛鏡(ひぼこのかがみ)は三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)と同等のものとされ、天照大神をあらわしています。古くは朝廷から神階(神様に対する位階)を贈らない別格の社として尊崇されるなど、非常に重要な扱いを受けてきました。朝廷から神階を授けられることがなかったのは伊勢神宮のほかは日前神宮、國懸神宮だけであったことからも、日本における神道や歴史の中でも日前神宮が特別な立場であったことが分かります。
このように日本屈指の歴史を誇る日前神宮ですが、長い歴史の中で社殿が全てなくなってしまったこともありました。
1580年頃、織田信長や豊臣(羽柴)秀吉による紀州攻めがありました。和歌山では当時高野山や根来寺、雑賀衆などの勢力と争っていた信長や秀吉は紀伊国を攻めましたが、攻めあぐねた秀吉は紀の川の水を堰き止めて紀の川流域一帯に洪水を引き起こす水攻めを行いました。
その時、日前神宮のご神体は事前に高野山に遷宮させて難を逃れたものの、日前神宮の建物などは全て、近くにあった太田城(現在の来迎寺付近)と一緒になくなってしまったということです。秀吉はこの紀州攻めの後、弟の秀長に和歌山城を築城させて治め、日前神宮の所領はこの時没収されましたが、江戸時代になり、紀州藩初代藩主である徳川頼宣によって再興されることになりました。現在の社殿は大正10年頃に建立されたもので、往年のものは残っていないとのことです。
ところで、日前神宮境内には中言神社(なかごとじんじゃ)があり、名草地方の地主の神である名草彦命(なぐさひこのみこと)と名草姫命(なぐさひめのみこと)が奉祀されています。祭神である名草姫命とは、神武東征の際にこれと戦った名草戸畔(なぐさとべ)という名草郡の女性酋長のことです。今も和歌山市吉原や黒江などの名草山近隣を中心に、いくつもの地に中言神社があり古くから和歌山市で祀られています。このような祭神が同じ境内で祀られ、他にも多くの摂社、末社が祀られているのも、古くから地域に根付いてきた長い歴史を持つ神社だからこそです。
中言神社 和歌浦から臨む名草山
今回で3回目となる日前神宮の紹介もこれで最終回です。次回は和歌山市加太地区についてご紹介します。
第1回はこちら https://www.wakayama-jc.net/?p=5222
第2回はこちら https://www.wakayama-jc.net/5262-2/
日前神宮・國懸神宮
住 所:和歌山県和歌山市秋月365(Googleマップ)
拝観時間:8:00~17:00(16:30受付終了)